LGO/POHHについて

 このブログで最初に書いた記事を読み直しました。思ってたよかキレとる。

 今回、なんで以前ああいう風に書いたかを、書いてしまおう、と思います。前回の記事で伏せてたとこを。というか、書かないと私がどう見ているかを、誤解されかねん、と思ったので。

 真剣に考えた結果がこれだよ!

 ツイートにも書きましたがLGOが好きな人、POHHが好きな人は読まない方がいいかもしれない、正直なとこ。です。

 やーーっとゆずかちゃんに対する所感がまとまりました。考えてみて、打ち出してみて、ああそーゆーことだったのかと、何を感じていたのかわかりました。

 

  私はLGOが好きで、好きだと再三書いているし、シナリオ集を買ったのもLGOが載ってるから、というところに重きを置いてました(あと、いつも楽しませてくれる人たちに感謝を込めて、実質的に対価を支払いたかった、というところ)。

 見るの遅いのでゆっくりではあるけど、TSも4も、もし5とか6とか、派生のものもあるんだったら、それも見ていく予定。それぐらい好き。

 なんだけど、一番そこが”ネック”っていうか、私にとって重要なひっかかりと言いますか。そこだけほんとにわかんないよってところがありました。ようやくその謎が解けた。

 

 何かと言うと私はゆずかちゃんに対して感情がない、感情が湧かなかったんです。それがなんでかなーとずっとよくわからなくて、考え続けていた…長かった。

 LGO3の二次小説も描いたしちょっと動画化した部分もあったけど、あれはひとえにみんなが見ているゆずかちゃんってこんな感じだな、ってかいたものであって、他意はなかったのです。

 

え、なんで?あれゆずかちゃんが主体となってる話でしょう?そこ感情移入できなきゃ面白いって感じなくない?」と思われるかもしれませんが、そうなんです。

 シナリオ集に、「一本道シナリオなのでNPCに思い入れが無くても進められる」、といった感じの記述があったんですけど、その思い入れがない方の人間でした。私は。

 

 なんでかっつーと、ゆずかちゃんが全く”女の子”らしくないというか、むしろ人間っぽくなくて。終始自分のことを大事にしていないような感じがひしひしと伝わって来たから、生気を感じなくて、よくできてるお人形のようだと思った。

 なぜそう感じたか、その理由をちょっと語ろうと思います。

 大きく言うと、ゆずかちゃんは全編において”大人”の対応すぎるというところです。 

 

 一つ目。変な男に絡まれて、周りの人に助けてもらった時にね、謝りまくってるの見て「ん?」って思ったんですよ。

「怖かった」とか「嫌」だったとか、自分がその怖い状況から抜け出して「良かった」とかいう描写が一切無くて。まず先に謝ってた。困ってたとは言ってたけど。

 まず普通の女の子が尋常でない様子の、自分よりいくらもでかい男に迫られたら怖いと感じるでしょう。でもこの子助けてもらってから、自分よりも先に、助けてもらった人に感謝するとか、自分が”相手”に迷惑をかけたことに対して謝るのが先なんですよ。

 なんでやねん。君全然悪くないだろむしろ(まだ直接的な実害を加えられていなかった時とはいえ)被害者側だろなぜ何も悪くないのに謝る。そんなに謝らなくていいよあいつが悪いんだから。君の体が無事だったことに目を向けなさいよと。

 

 で二つ目。

 爆弾事件が起こった時に際して。ゆずかちゃんが「生きたい」という意思を見せなかったこと。彼女が、自分が死ぬ時に「皆さん、生きて」って言うのは、矛盾してると。そう言えるのは、ちょっとおかしいと思うんですよ。

 そもそも、ゆずかちゃんがショッピングモールに来た目的っていうのは、自分が世間知らずで、そこに行ってみたいから、知りたいっていう好奇心があったからなんですよね。

 発言から読み解くに、ゆずかちゃんは自分のお友達に、「ショッピングモールに行ってきたよ!」と報告をしたかったんじゃないか、と思うんですよ。そこは私の解釈なんですけど、少なくとも、お友達ともショッピングモールに来てみたかったと思うし、自分を助けてくれた人たちとも、また一緒に来たいな、どこかで遊びたいなとか、そういう欲は生まれただろうと思います。むしろ、実際訪れてみてからの方が、そういう欲が増えたんじゃないかな。

 なのに、あの爆弾事件で、自分が死ぬことになって、その間際に。自分のことを一切考えずに何の恨み言も言わずに、周りの幸せだけ願うってできないと思うんですよ。

「もっと生きたかった、もっと遊びたかった、もっといろんなことしてみたかった」って、普通は思うんじゃないかな。でも自分のこと、”未練”を、何も言わないよね。私はそれが聞きたかったんです。

 

 他の作品とかでも、死にゆく時に仲間のことを思う、といったシーンはありますけど、LGOはなんか違った。

 そもそも最初から、何故かこの女の子に”熱”を感じなかった。触ってもぬくもりのある血が通ってないというか。物語が始まった時から、なんか自分がこれからどうなるかわかっていて、最初から”自分のことを諦めてる”気がした。

 

 

 庇うという 行為自体に、優しさがあるかもしれないけど、

「みんなのこと大好きでもっとずっと一緒にいたいけど、みんなに生きててほしいから」っていう理由で庇うのと、

「私よりみんなの方が大事だから、生きて」って言われるのとでは、随分意味が違いますよね。

 みんながゆずかちゃんを見て”優しい”と思うのは、そこで感じた優しさというのは、前者の方だと思うんですけど。だけどなんかどうも私は、後者の方にしか聞こえなかったんですよね、1から3までずーっと。

 だから、ゆずかちゃんが周りのことを思ったというより、ゆずかちゃんが自分のことを切り捨てた、という物語に見えた。

 

「自分も幸せになりたい”けど”、みんなが幸せになってほしいから。」っていうのは、犠牲にはなっているんだけど、自分の感情を残しているから、周りに”幸せ”を託していると思う。でも、

「みんなが幸せになるなら自分の幸せを捨てていいよ。」っていうのは”取捨”選択で、その人自身の幸せが入ってない。だからいやだ、と思った。

 ゆずかちゃんがみんなのことが大好きで救われてほしかったっていうのはわかるけど、優先順位で”一番下”の、”自分”を切り捨てたって感じがしていやなんですよ。

「みんなのことがとても大切で、死んでほしくなくて、じゃあこの中で死ぬべきは私。(いなくなっても大丈夫なのは)」って、自分のことを取り除いたような決断にしか見えなかった。

  なんか、そういうふうに幸せを願われても、嬉しくないなあと。冷たい感じがして。しかもそれが自分の辛さや痛みを我慢していたというのなら尚更 。ゆずかちゃんは自分の痛みも無視してた。

 

 人って、自分の気持ちをわかってもらえただけで救われる部分が、安心できる部分があると思うんです。

  大切な人が目の前で、「痛いよ、苦しいよ、助けて怖いよ」って泣き叫んでるのなんか見たくないです、できうる限り。そんなことにはならないでほしいよ。見る側だって死ぬほど苦しいよ。だけど、もう体の方なんて手の施しようのないくらいボロボロで、それなら少しでも救ってあげられるの、心だけじゃないだろうか。

 体が痛くて苦しくて、その体はその子のものだから、痛みを代わってあげることはできないけど、「苦しいよ、辛いよ、助けてほしいよ、怖いよ」って言ってくれたら、それで、「ああ、苦しいんだね辛いんだね怖いんだよね」って言ってあげられたら、その心だけは抱きしめてあげられるんじゃないかと思う。

 それでその子の心の全てが救われるわけじゃないと思うけど、いくらかは楽にしてあげられると思うし、見ている側も楽になるんじゃないかなと思います(見ている側が楽になろうというのは勝手かもしれないけど。ゆずかちゃんはそれも含めて考えられそうな気がした。本当なら。)。

 でも、周りが理解のない大人ならともかく、「助けて」とか「怖いよ」って言ったら、受け止めてくれるような優しい人たちなのに、この子何にも言わないんですよ。

 

 自分の子供が死んでいくときにこんなこと言われたら。自分が人の親だったら、もし仮にこの子の母親だったら、発狂すると思う。

 「ああ、自分の目の前で、あまり苦しむような様子を見せずに、死んでいってくれたんだな、私達の心が痛まずに済むように思って死んでいってくれたんだ、痛いのを我慢して。優しいな」って思いますか。思いませんよ。優しくないよ、全然優しくないよ。全く嬉しくないよ。悲しいよ。

「ああ、この子は”他の人”が悲しまなくて済むように、自分を選んでくれたんだ。偉いね。」って、思いますか。思いませんよ。

 自分は自分でも、ちゃんと”自分が生きようとすること”の方を選んでほしいよ。

 

 自分の大切な人だったら、それがその子の全部だから、苦しいけど嫌だけど、どんなものでもちゃんと自分の目に刻みたいって思うよ。

  

 何も悪くないのに謝ったり自分が辛い時にそれを伝えなかったり、一切自分のこと大事にしてないよ。大事にしてないから結局周りの人も大事にできてないよ。

 自分の中で全部辛さ抱えたまま持っていって、分け与えてくれないんですよ。彼女の中にある分を少しでも軽くしてあげられないし、”何もしてあげられなかった”っていう記憶を人の中に残して死んでいっちゃうんですよ。優しいかな、それって。それってある意味で、一番残酷じゃないかな?

「私は苦しいけどあなたたちは苦しまないでね、大丈夫だから。」みたいな。

 それは君が苦しいの我慢している時点で、人に言っちゃいけないよねって。矛盾してる。

 そんな、自分のこと大事にしてない人に、自分のこと大事にしてね(生きて)って言われても全く説得力無いよ。わかんないよ。

 一言、彼女の心が感じた台詞を聞きたかった。

 

 この子が高校生、とかだったらわかるんですよ。周りにも目を向けられるようになってくるからさ。でもまだ中学生だぞ。ちょっと前までランドセルしょってた小っちゃい女の子に、まだ世の中の理不尽を受け止める物分かりの良さなんて無いし無くていいよ。そう、判断がいつもなぜか「大人」で、価値観が大人すぎるんですよ。

 

 蒜暮さんとかソラ君とか、陸奥ちゃんの優しさはわかるんですよ。でも、それはひとえに、優しいと思った人たちのやさしさであって、それを見ている側のやさしさであって、ゆずかちゃんのやさしさではないと思う。

 視聴者含め、見ている側がそれを優しいと受け取るのはわかる。

 でも言ってる本人(ぱぱ)がそれを(やさしいとか)言うのわからん。 自分の幸せを度外視して他人の幸せ願うような子供を、優しいとか健気とかいい子だとかそんなふうに言うのはちょっと分からない。 やだ。

 お前がそんな悲しい思考回路で生きる子供に育てたんだろうがあーーー!!!って思う。

 

 

 死する時に、自分の苦しみを超越するほど、”悟った”、っていうならわからんでもないけど(また他の作品とかでもそういう描写もありますよね)、その後の精霊として現れた時の描写で、その予測は打ち砕かれたし。

 泣いてんじゃん!!

 やっぱり辛かったんじゃん!!!やっぱり嘘じゃないかよ!!!

 いや、これは精霊になった痛みとか苦しみが”表に出さざるを得ない”ほど、耐えきれないほど辛いから泣いてるんだよ、とか言われるかもしれないが、自分の体がボロボロになった時点だって相当辛かったはずだよ。

 じゃあ最初から泣かせてやれよ!!!今泣かすのかよ!!!

 一番辛かったその瞬間になんで泣かせてやらないんだよ!!!

 もしくは(仮に悟っていたとするなら、)泣いててもいいから、同時に笑っていてもほしかったよ!!その苦しみの中ですら、周りの幸せを願うという態度があったなら、そういう風に一貫していたなら、ああ健気ないい子だなってそのキャラクター性に敬意を表したよ。でも違うじゃないか!

  この子が”死んでから”じゃないと、この子が”辛かった”ということわかってあげられない、どころか苦しんだことをずっと知らないまま終わるかもしれなかったなんて、ひどい。ひどすぎる。

 

   POHH本編の回想において、あ、好きになれるかもという兆しがあったんですけど。(というかここで、みんなが見ていたゆずかちゃんのやさしさとか、いい子だね、ってこういうことなんだなって思った。わかった。)

 だけど、POHHで垣間見た、橘ゆずかちゃんという小さな女の子のやさしさと、LGOのゆずかちゃんのやさしさとでは、全然その質は違うと思った。一線を画している。

 回想のゆずかちゃんは、見ていて、他者に分け与えるやさしさの中に、その女の子の心が入っていると思った。だから胸にぐっとくるものがあった。だけど、LGOのゆずかちゃんはそうじゃないと思った。

 

 LGO&POHH雑談でゆずかちゃん嫌いなもの苦手なもの基本的に無い、と聞いてあ、そう、そう、なんだ~~嫌いなものないんだ…。と、寂しい気持ちになった。

  私は、キャラを見る時に共感できるかどうかを重視していて、共感できた時に、初めてそのキャラを好きになります。特に、人間らしい感情を抱く人は愛おしいと思います(どういう”人間らしさ”を好きになるかは人それぞれですね)。私は自分を大切にして、周りを大切にするという選択をする人が一番好きです。

  そして、何を一番大切に思うかは違うけれど、人やキャラクターに共通して言えることは、誰でも何か大切なものを持っていて、それを軸にして生きているってことなんですよね。

 であるがゆえに、人間って、何かを愛おしく思ったり、大切だと思ったりした時点で、怒りや苦しみから、逃れえないと思うんですよ。誰かを大切に思って、その人たちと幸せに暮らしたいとか、笑い合いたいと思った時点で、誰かにその日々や時間を奪われると思ったら、怖くなりませんか。奪われたら、怒りや憎しみが湧きませんか。

 苦しみが分かるから、愛したいとか幸せにしたいとか思うんじゃないかな。

 自分が害を被っておきながら、何も感じないのなら、それは人間じゃないと思うんですよ。怖くない、苦しみを感じないなら、じゃあ別にそれでよくない?って思ってしまう。それを感じないなら、こっちが心配したり”思ったり”する意味は無くないかな?って。

「無いよ」、とか、「あるけどそれを出さないで生きていくよ」っていうなら、人形と一緒じゃないかなと思う。心の無い人と同じ時間を生きていく意味って無いと思うんだ。

 

  なんか、その点をPOHHは解消してくれたんですよ。はーちゃんの場合は、いい意味で”いい子”じゃなかったから。

 自分がいまこうしたいから、とか、みんなと一緒に生きていきたいから、っていう主張をしてくれて、自分の感情を出してくれて嬉しかった。

 はーちゃんは(この先どう生きるかは描かれていないので推測するしかないのですが)、悲しいこととか嫌なことがあったら「悲しいです。」とか、「それはしないでほしいです。」とか、ちゃんと伝えられそうな女の子のような気がするんですよね。だから、ああ良かったって思った。

 はーちゃんは最初機械的なところがあったけど、そこもかわいいと思ったし、そういう感情の生まれ方が、機微が、愛おしいと思った。

 だから、POHHを、優しい人(女の子)の心に触れられて、その子が幸せになってくれるのを見たいと思えて、幸せになってくれて嬉しいと素直に思える、素敵な物語だと思った。

  LGOで一つだけ感じていた、フラストレーションが、そこで解消されたと思った。それに伴って、私の中で本当に、LGOという作品が”昇華”された、というような気がした。POHHという続きの物語があったからこそ、LGOの”終わり”を見ることができたと思った。

 だから本当に見て良かったと思うし、LGO1が好きだし同じメンバーで、あのPOHHの物語が見られて良かったと思う。

 

 何度も言うけど、私はLGOが好きだ。細かいところだけ言ったらつついてしまっているようなんだけど、嫌っているんじゃなくてほんとに好きだからなんだ。だからここまで深く考えてしまった。

 普段は『細かいとこなんて別にいいんじゃない?面白ければ。』っていうスタンスだから、無視してたと思う。でも、なにかここだけは、とても緻密に計算されているシナリオの中にあって、不自然に感じた。その小さな部分が気になって、よく見ようと、深く掘り下げた。

 色々言ったし、内包している一つの箇所だけ、愛せないなと思いはするけれど、大きく、ひっくるめて好きだ。とにかく結論として言えることは、LGOに会えて良かった。

 

 これからまた、感想が変わることや新たな所感が生まれるかもあるしれません。その時はまた追記しようと思います。